普遍的な人類の進化の方向性について
前回の記事では、「量子的観測状態」というややこしい表現をしましたが(笑)
それは大げさな事でも何でもなく、単にありのままに抵抗せず内観することや
景色や音楽や物事をただ感じて
情報を前頭葉に引き上げていない時に、勝手に起こっている状態です。
そうすることで、物質を空間(量子場)と一体として感じて行きやすくなって行きます。
イエス・キリストが言った「隣人を自分そのものとして愛しなさい」という意味は、こういう意味だったのだと思います。
それは「私とあなたは、量子という場として同一の存在である」という認識の事なのです。
そのような認識から生まれてくる思考、行動、文明は当然、「全ては一つ」という場から生まれたエネルギーによって創られていくでしょう。
逆に、ガチガチの「個」 ・・・私は、「個」であり、あなたも、「個」なんだ!!
という「認識(=観測者効果)」から始まる思考、行動、関係性、そして文明は
その認識を反映したものとなるでしょう。(あたりまえですね)
ぶとうの種からはぶどうが出来て、
リンゴの種からはリンゴが実ります。
逆は不可能なのです。
「個」という認識から始まる慈善事業は、それがどれほど表面的に見て良い事に見えたとしても、
「個(私)」という固定点を強化することにも収束されていきがちなのです。(もちろん良い面は否定しませんが)
ソ連は平等精神を制度化しましたが、理想郷を作る事は結局できませんでした。
最も大切な現代文明の、根本原因(=種)を見落としていたからです。
その「種」こそが、全ての出発原因である、一人一人の「観測状態(=認識)」なのです。
これは、いわゆる「オーラが見える」とか、「チャネリングでメッセージが聞ける」などとは、違う話です。
それらは、一人一人に与えられたギフトであり、才能なのです。否定するつもりはありませんし、それは素晴らしい事に違いありません。
しかしそのような能力は単に、「ピアノを弾くのがメッチャうまい」とか、「数学のセンスが凄い」などと同じような話であって、いわゆるその人のオリジナリティなのです。
それは多少、関係はしているのですが、物事の本質ではありません。
それは個々人のオリジナリティの世界の話なのです。他人のオリジナリティに憧れる事が普遍的な進化の方向性ではないのです。
脳幹を活性し、内側の「ありのまま」と共に在れるようになってくると、自然と重心は下に下がり、量子観測状態になりやすくなってくるのです。
その結果として、本来の自分自身のオリジナリティに基づく才能が開花していく事が自然な経緯なのでしょう。(前回のブログしかり)
もう少し厳密に言えば、量子的観測と、個的な観測状態を、自由に行き来する事ができるようになること、であり、
それは「心身の浄化、統合、量子化、そして前頭葉から深層脳、身体へ重心が下がる事」により、起こるのです。
この「量子的観測状態」とは、「人格者になる」とかとは、あまり関係ありません。言ってみれば、赤ちゃんがある意味その状態なのですから、、。
僕は覚醒者でも人格者でもありませんが、ある意味研究者として、今まで自分が様々な人を観察してきた結果を、ここに淡々と記しているだけです。
本で読むわけでもなく、〇□先生の言う事を鵜呑みにするわけでもなく、量子的観測と、シンプルな考察を続けてきただけなのです。
そしてそのエッセンス(最深で最大の公約数)が、
「三種の神器(脳幹活性、インナーボディ、ありがとうございます の祈り)」という、
多元的な人間存在を包括する、ド真ん中の
超シンプルな三位三体法なのです。
それは大げさな事でも何でもなく、単にありのままに抵抗せず内観することや
景色や音楽や物事をただ感じて
情報を前頭葉に引き上げていない時に、勝手に起こっている状態です。
そうすることで、物質を空間(量子場)と一体として感じて行きやすくなって行きます。
イエス・キリストが言った「隣人を自分そのものとして愛しなさい」という意味は、こういう意味だったのだと思います。
それは「私とあなたは、量子という場として同一の存在である」という認識の事なのです。
そのような認識から生まれてくる思考、行動、文明は当然、「全ては一つ」という場から生まれたエネルギーによって創られていくでしょう。
逆に、ガチガチの「個」 ・・・私は、「個」であり、あなたも、「個」なんだ!!
という「認識(=観測者効果)」から始まる思考、行動、関係性、そして文明は
その認識を反映したものとなるでしょう。(あたりまえですね)
ぶとうの種からはぶどうが出来て、
リンゴの種からはリンゴが実ります。
逆は不可能なのです。
「個」という認識から始まる慈善事業は、それがどれほど表面的に見て良い事に見えたとしても、
「個(私)」という固定点を強化することにも収束されていきがちなのです。(もちろん良い面は否定しませんが)
ソ連は平等精神を制度化しましたが、理想郷を作る事は結局できませんでした。
最も大切な現代文明の、根本原因(=種)を見落としていたからです。
その「種」こそが、全ての出発原因である、一人一人の「観測状態(=認識)」なのです。
これは、いわゆる「オーラが見える」とか、「チャネリングでメッセージが聞ける」などとは、違う話です。
それらは、一人一人に与えられたギフトであり、才能なのです。否定するつもりはありませんし、それは素晴らしい事に違いありません。
しかしそのような能力は単に、「ピアノを弾くのがメッチャうまい」とか、「数学のセンスが凄い」などと同じような話であって、いわゆるその人のオリジナリティなのです。
それは多少、関係はしているのですが、物事の本質ではありません。
それは個々人のオリジナリティの世界の話なのです。他人のオリジナリティに憧れる事が普遍的な進化の方向性ではないのです。
脳幹を活性し、内側の「ありのまま」と共に在れるようになってくると、自然と重心は下に下がり、量子観測状態になりやすくなってくるのです。
その結果として、本来の自分自身のオリジナリティに基づく才能が開花していく事が自然な経緯なのでしょう。(前回のブログしかり)
もう少し厳密に言えば、量子的観測と、個的な観測状態を、自由に行き来する事ができるようになること、であり、
それは「心身の浄化、統合、量子化、そして前頭葉から深層脳、身体へ重心が下がる事」により、起こるのです。
この「量子的観測状態」とは、「人格者になる」とかとは、あまり関係ありません。言ってみれば、赤ちゃんがある意味その状態なのですから、、。
僕は覚醒者でも人格者でもありませんが、ある意味研究者として、今まで自分が様々な人を観察してきた結果を、ここに淡々と記しているだけです。
本で読むわけでもなく、〇□先生の言う事を鵜呑みにするわけでもなく、量子的観測と、シンプルな考察を続けてきただけなのです。
そしてそのエッセンス(最深で最大の公約数)が、
「三種の神器(脳幹活性、インナーボディ、ありがとうございます の祈り)」という、
多元的な人間存在を包括する、ド真ん中の
超シンプルな三位三体法なのです。
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